akitaのブログ

こちらは、昭和の歌手や桜田淳子さんに関わりのある人物などを綴ったアカウントになります。興味のある方は、ご覧ください。

さがし さがし 求めて

♪〜あなたひとりにかけた恋愛の言葉を信じたの さがしさがし求めてひとり ひとりさまよえば行けど切ない♪f:id:zunko2525409:20160805003940j:image作詞永田貴子 作曲彩木雅夫

長崎は今日も雨だった」1969年(昭和44年)2月1日に発売された内山田洋とクール・ファイブのメジャーデビュー曲にして、最大のヒット曲。グループ脱退後、ソロ活動中の前川清の代表曲でもある。この曲のヒットで第11回日本レコード大賞・新人賞を受賞。第2回日本有線大賞・新人賞を受賞。第20回紅白歌合戦に初出場を果たした。

中村泰士さんを紹介します。桜田淳子さんの歌を多数作曲した作曲家です。

f:id:zunko2525409:20160730232521j:image中村泰士 奈良県奈良市出身。大阪府立和泉高等学校に通っていたが、奈良県立高田高等学校に転校し、中退。在学中より、「内田裕也とロックブラザーズ」のボーカルをつとめていた。1957年、美川鯛ニとして東芝より歌手デビュー。1968年、佐川満男の「今は幸せかい」で作曲家に転身。1972年、ちあきなおみ「喝采」で第14回日本レコード大賞、1982年細川たかし北酒場」で第25回日本レコード大賞と、日本レコード大賞をニ度受賞するなど、ヒットメーカーとして知られている。中村泰士さんは、桜田淳子さんの曲を多数作曲されています。「天使も夢みる」「足長おじさん」「虹のほほえみ」「よせがき」「乙女の祈り」「天使の冒険」「鳩のいる広場」「人形の部屋」「16歳の夏」「わたしの青い鳥」他多数を中村泰士さんが手がけています。

f:id:zunko2525409:20160731155255j:image⬅︎中村先生と桜田淳子さんによるデュエット。

 

 桜田淳子さんの他にも、ヒデとロザンナ「愛は傷つきやすく」五木ひろし「めぐり…逢い」本郷直樹「燃える恋人」小林旭「泣いた数だけ倖せに」いしだあゆみ「喧嘩のあとでくちづけを」「砂漠のような東京で」「渚にて梓みちよ「小心者」ザ・ピーナッツ「サンフランシスコの女」「大阪の女」などを作曲されています。

 中村先生には、長生きして貰いたいですね。桜田淳子さんの関係者であり、淳子さんに携わってきた人物ですから、言ってみれば数少ない桜田淳子さんをよく知るお方でもあります。阿久悠先生は、2007年にお亡くなりになりましたし…サンミュージックの相澤会長は2013年にお亡くなりになられましたし…とにかく中村先生には、本当に長生きして貰いたいですね。f:id:zunko2525409:20160731160730j:image

 

本アカでも、 中村泰士さんを紹介した記事を投稿しましたが、今回は、裏アカとして中村先生を紹介したいと思います。桜田淳子さんの曲を沢山手がけた方ですし、淳子さん情報が入っているので此方のアカウントでも紹介した次第です。

クレージー・キャッツ「ウンジャラゲ」で登場するあの女性歌手の名前

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クレージー・キャッツの意味不明ソング「ウンジャラゲ」には、当時人気のあった女性歌手が登場している。

f:id:zunko2525409:20160730201431j:imageウンジャラゲ」の歌詞に「あけみちゃんはウンジャラゲ」と描かれている。三沢あけみさんの事だと思われる。

f:id:zunko2525409:20160730201729j:image「みどりちゃんはハンジャラゲ」これは、鼻山みどりさんの事だと思われる。

f:id:zunko2525409:20160730201843j:image「はるみちゃんはスイスイスイ」と描かれている。これは、都はるみさんの事だと思われる。

f:id:zunko2525409:20160730201943j:image「さゆりちゃんはモリモリ」これは、当時人気のあった女優吉永小百合さんの事を指している。

 他にも、「じゅんこちゃんはキンキラキン」これは、黛・ジュンの事だと思われる。彼女の本名は、渡辺順子である。多分そこから来ていると考えられる。

「みえちゃんはギンギラギンのギンギラギンのギンギラギンのギン」これは、中尾ミエの事を指している。

しかし当時人気だった女性歌手をひとつの曲の中で歌詞として描かれているとはおもしろいですし、画期的ですよね。

水谷公生さん紹介。

f:id:zunko2525409:20160729185435j:image水谷公生 (みずたにきみお)別名・水谷竜緒・水谷龍緒。旧芸名水谷淳 デビュー当初は、長らく「水谷淳」の芸名で活動していた。インスト・バンド「津田龍一とブルー・エース」を経て、1966年に穂口雄右、轟健二(後の松崎澄夫)らと、GSバンド「アウト・キャスト」を結成。1970年代後半から1980年代にかけては、歌謡曲からロックまで幅広いジャンルで編曲家として活動する。又、作曲家としても活躍しており、岩崎宏美「れんげ草の恋」可愛かずみ「仔猫の決心」「星屑のシネマ」河合奈保子「ヤング・ボーイ」「17才」キャンディーズ「めぐり逢えて」西城秀樹南十字星桜田淳子「熱い心の招待状」「招待席」「わたしの広告」榊原郁恵「あなたは「おもしろマガジン」などがある。

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アウト・キャスト(GS)を紹介します。

アウト・キャスト1966年春に結成されたグループ・サウンズ(GS)のバンド。グループ名の由来は、「人真似ではなく、自分達独自のもので飛躍しよう」との想いがある。前期メンバー f:id:zunko2525409:20160730141759j:image水谷淳(リードギター、ボーカル)1948年6月17日生まれ。轟健二(リードボーカル、フルート)1948年3月21日生まれ。大野良二(ベースギター)1948年2月12日生まれ。中沢啓光(ドラムス)1948年3月19日生まれ。前期脱退メンバー片桐周一(ギター)初代ギター。短期間の在籍で、デビュー前脱退。藤田浩一(ギター)片桐脱退後に加入。穂口雄右(オルガン)1948年1月24日生まれ。元テディーボーイズ、元ジャニーズ・ジュニア後に作曲家。

穂口雄右さんは、桜田淳子さんの「もう一度だけ振り向いて」を作曲された方です。水谷さんも桜田淳子さんの曲を作曲されています。

 

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穂口雄右さんについては、本アカで紹介しましたので其方でご覧ください。

 

 

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皆さんアウト・キャスト1度でいいですから聴いてみて下さい。youtubeにアップされています。

改名した女性芸能人をまとめてみた

f:id:zunko2525409:20160729130951j:image川中美幸 (本名・山田岐味子)旧姓・川中。大阪府吹田市出身。1973年6月、春日はるみの芸名でワーナー・パイオニアより「新宿天使」でデビューするも低迷。1977年4月「川中美幸」と改名しテイチク・レコードより「あなたに命がけ」で再デビューした。1980年、文化放送の深夜番組「走れ!歌謡曲」のパーソナリティーに局アナ以外で初めて抜擢され、現在でも歌い継がれている有名なヒット曲「ふたり酒」が生まれることになった。

 f:id:zunko2525409:20160729132525j:image伍代夏子(本名・山田照美)旧姓・中川。東京都渋谷区出身。1982年7月7日、星ひろみとして「恋の家なき子」でデビュー。1985年4月21日加川有希として「夜明けまでヨコハマ」。1986年7月21日本名(当時)の中川照美に改名。「夢きずな」発表。1987年9月21日伍代夏子とて「戻り川」で再デビュー。1990年「忍ぶ雨」ヒット。

f:id:zunko2525409:20160729133755j:image夏川りみ(本名・玉木りみ)旧姓・兼久。沖縄県石垣市出身。1989年ポニーキャニオンから星美里の名で演歌歌手デビューし、「しほり」を発表した。藤山一郎からは「40年に一人出るか出ないかの歌手」と称えられたが、ヒットには恵まれなかった。1999年5月21日に夏川りみとしてデビューした。2001年に発表した「涙そうそう」がじわじわとヒット、116週連続チャートインして一躍有名となった。