akitaのブログ

こちらは、昭和の歌手や桜田淳子さんに関わりのある人物などを綴ったアカウントになります。興味のある方は、ご覧ください。

朝 ・昼・夕


アグネス・チャン「美しい朝がきます」

桜田淳子「昼下がりのエレジー」

中山恵美子「夕ご飯はカレーにしましょう」

朝・昼・夕を歌った曲は、ご覧の通りになります。皆さん聴いてみてください。(^_^*)
ちなみに私事ですが…夕ご飯はカレーです。今宵は、中山恵美子さんの曲が似合いそうです。

カバーで聴く昭和歌謡曲♫


山本リンダさんは、オーヤン・フィーフィーさんの歌。恋の追跡(ラブチェイス)をカバーしています。リンダさんの色っぽいイメージと見事にマッチしておりとても良いです。

南沙織さんは、リリィの曲「わたしは泣いています」をカバーしています。こちらも聴いていて心地よいテイストになっております。

桜田淳子さんは、天地真理さんの曲「ひとりじゃないの」をカバーしています。淳子ちゃんが唄う「ひとりじゃないの」はカワイイです。聴いていて癒されます。(*^o^*)


皆さんも、昭和の歌手が唄うカバーソング聴いてみませんか?

三百六十五歩のマーチ


1968年11月10日にリリースされた。水前寺清子の23枚目のシングル。それまで演歌の本流とも言える楽曲をリリースし続けた水前寺がリリースした歌謡曲ナンバーで、題名の通り1日1歩ずつ歩み続ける人生を励ますマーチ(行進曲)調の曲である。ジャケット写真もそれまでの着まわし姿から一転、マーチングバンドのドラムメジャー姿になった水前寺がpauseを決めたものになっている。水前寺は楽曲提供を受けた当初は演歌歌手としてヒット曲を連発したプライドから英語の「ワンツー」という歌詞がある本曲に「冗談じゃない。わざとイメージに合わない曲で私を辞めさせる気だ」と疑心暗鬼になったという。このように水前寺が不本意ながらリリースした楽曲であるが、「日本が自信に満ちた時代だった」という高度経済成長の時流にマッチし、累計では100万枚を越える売り上げ(ミリオンセラー)となった、結果的に水前寺の最大のヒット曲にして代表曲となり、第11回日本レコード大賞・大衆賞を受賞した。

吉田拓郎作曲のあの曲


1974年1月15日にリリースされた。第16回日本レコード大賞と、第5回日本歌謡大賞のダブル受賞をした名曲。

1975年2月5日にリリースされた。1975年度オリコンシングル年間チャートで9位を記録した かまやつひろしの代表曲です。

1975年5月1日にリリースされた。1975年の日本テレビ系ドラマ「俺たちの勲章」の挿入歌である。B面の「さすらい時代」も吉田拓郎作曲です。

1976年9月21日にリリースされた。第27回NHK紅白歌合戦に出場した。この曲で通算10回目の出場を果たした。

「えとらんぜ」1978年7月20日にリリースされた。作詞松本隆 作曲吉田拓郎 B面の「ほ・ほ・え・み」も同じく作詞松本隆 作曲吉田拓郎である。

渚のうわさ🐚


1967年7月10日に発売された。コロンビア移籍後18枚目のシングルである。この曲で「第18回NHK紅白歌合戦」に出場。30万枚を記録し筒美京平初のヒット作となった。
この曲をカバーしたアーティストは、アダ・モリ シェリー 小沢陽子 藤井一子 鈴木蘭々他にも以下のアーティストがカバーされています。⬇︎


岡崎友紀 実は、この曲のカバーで初めて聞いたのが彼女バージョンでした。

ヒストリー 男性が歌う「渚のうわさ」も味がありいいですね

山口百恵は嫌らしい方法でスターになった

山口百恵は嫌らしい方法でスターになった。地味でさえない少女だった百恵が何故スターになったのか?そしてその方法を紹介します。f:id:zunko2525409:20160806115330j:image1973年5月21日に「としごろ」でデビュー。森昌子桜田淳子と共に「花の中3トリオ」と呼ばれた。キャッチコピーは「大きなソニー、大きな新人」しかし、デビュー曲「としごろ」は、スタッフの期待以下のセールスに止まったため、「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線をとった。「青い性路線」と呼ばれるようになる。又テレビドラマでも活躍し山口百恵をスターに仕立てようと企んだスタッフは、「禁じられた遊び」のB面「パパは恋人」をTBS系ドラマ「顔で笑って」の主題歌として使用した。百恵は、このドラマに出演した。又「パパは恋人」は、百恵と宇津井健のデュエット曲である。f:id:zunko2525409:20160806143810j:image1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで花開くこととなった。1974年「伊豆の踊り子」に出演し演技でも評価を得る。1974年10月からは、TBSのテレビドラマ赤いシリーズに出演。1975年には、「百恵ライブ−百恵ちゃん祭りより」が開催され1975年4月26日には、映画「潮騒」に出演し、三浦友和と共演した。f:id:zunko2525409:20160806144043j:imageこの映画の主題歌には、山口のアルバム曲「少年の海」が使用されている。1975年12月21日にリリースされた「白い約束/山鳩」山口百恵のシングルとしては、初めて三木たかしが起用された。「山鳩」は、山口と三浦友和の3作目の共演となった東宝映画「絶唱」の主題歌。1976年3月21日にリリースされた「愛に走って/赤い運命」「赤い運命」は本人出演のTBSドラマ「赤い運命」の主題歌。1976年11月21日にリリースされた。「赤い衝撃」TBSドラマ「赤い衝撃」の主題歌。1977年12月21日にリリースされた。「赤い絆(レッド・センセーション)」「赤い絆(レッド・センセーション)」は、山口百恵が主演したTBS系ドラマ「赤い絆」の主題歌。1978年に「百恵ちゃん祭り, 78」を開催。1978年11月21日にリリースされた。「いい日旅立ち」当時山口は、阿木耀子・宇崎竜童のコンビによる楽曲が多かった中で、本作は、谷村新司を楽曲製作者に迎えて作られた。「一惠」三浦友和との結婚式の当日の1980年11月19日にリリースされた。作詞にクレジットされている「横須賀恵」は、山口百恵本人の作詞時に使用していたペンネーム。作曲は、1978年の「いい日旅立ち」以来2年ぶりに当時アリスとして活動中だった谷村新司が担当。

この様にテレビドラマやイメージチェンジでスターになったのだ。しかし百恵のイメチェンは、プロダクションやレコード会社によって作られたものであり百恵自身の力ではない。世間やその当時の時代の空気などが百恵に合っていただけの話で百恵が凄い訳では無い。とにかく変化することにこだわっていた時代百恵は、それに応えるかのように変化していった。しかしその変化の仕方は不自然であった。地味でさえない少女が時代やプロダクションによって垢抜けてきたのはなんか嫌らしい感じがする。私が淳子ファンだから?百恵が嫌いだから?多少それは有るが…それとはまた違う不自然さを感じる。例えば、百恵は、変わったが淳子は変われなかったという世間の認識や百恵は凄いが淳子は凄くない。と言った世間の不自然な認識もある。それが可笑しくってならない。

 

例えば、16才の淳子さん

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17才の淳子さん

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18才の淳子さん

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19才の淳子さん

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20才の淳子さん

こうして見ると分かると思いますが、 16才の桜田淳子さんと20才の桜田淳子さんは違います。表情もキリッとしてきて凛々しくなりました。でも、私が言いたいのは、そういう事では無く淳子さんは、少女らしさを忘れずにかわいくステキな女性に成長していきました。簡単に言うと嫌味が無く自然と年を重ねている。それに淳子さんは、百恵の様にB面の曲も披露する事は有りませんでした。コレが吉と出たのか凶と出たのかは分かりませんが、淳子さんは、A面のシングル曲しか披露していません。ズバッとした判断力と勝負強さを感じます。又百恵と同じく女優としても活躍し才能を発揮しました。淳子さんも自身のアルバム曲で作詞されています。淳子さんは、本名の桜田淳子名義です。百恵は、格好をつけてペンネームで作詞してましたね。f:id:zunko2525409:20160806151312j:image「恋のふくらみ」「かあさん」「グッバイ・ハッピーデイズ」「show Me 〜心の扉を開けて〜」のこの4作品は、桜田淳子さん作詞です。皆さん是非これらの曲を聴いてみてください。f:id:zunko2525409:20160806151206j:imageしかし…不思議ですね…すべてにおいて桜田淳子さんの方がいいと思うけど…なかなか良さをわかって貰えないのは何でかな?ルックス、曲の良さ明るく爽やかで笑顔がいい…こんなに素晴らしい人なのにもっと世の中の人に淳子の良さをわかって欲しい。