akitaのブログ

こちらは、昭和の歌手や桜田淳子さんに関わりのある人物などを綴ったアカウントになります。興味のある方は、ご覧ください。

吉田拓郎作曲のあの曲


1974年1月15日にリリースされた。第16回日本レコード大賞と、第5回日本歌謡大賞のダブル受賞をした名曲。

1975年2月5日にリリースされた。1975年度オリコンシングル年間チャートで9位を記録した かまやつひろしの代表曲です。

1975年5月1日にリリースされた。1975年の日本テレビ系ドラマ「俺たちの勲章」の挿入歌である。B面の「さすらい時代」も吉田拓郎作曲です。

1976年9月21日にリリースされた。第27回NHK紅白歌合戦に出場した。この曲で通算10回目の出場を果たした。

「えとらんぜ」1978年7月20日にリリースされた。作詞松本隆 作曲吉田拓郎 B面の「ほ・ほ・え・み」も同じく作詞松本隆 作曲吉田拓郎である。

渚のうわさ🐚


1967年7月10日に発売された。コロンビア移籍後18枚目のシングルである。この曲で「第18回NHK紅白歌合戦」に出場。30万枚を記録し筒美京平初のヒット作となった。
この曲をカバーしたアーティストは、アダ・モリ シェリー 小沢陽子 藤井一子 鈴木蘭々他にも以下のアーティストがカバーされています。⬇︎


岡崎友紀 実は、この曲のカバーで初めて聞いたのが彼女バージョンでした。

ヒストリー 男性が歌う「渚のうわさ」も味がありいいですね

山口百恵は嫌らしい方法でスターになった

山口百恵は嫌らしい方法でスターになった。地味でさえない少女だった百恵が何故スターになったのか?そしてその方法を紹介します。f:id:zunko2525409:20160806115330j:image1973年5月21日に「としごろ」でデビュー。森昌子桜田淳子と共に「花の中3トリオ」と呼ばれた。キャッチコピーは「大きなソニー、大きな新人」しかし、デビュー曲「としごろ」は、スタッフの期待以下のセールスに止まったため、「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線をとった。「青い性路線」と呼ばれるようになる。又テレビドラマでも活躍し山口百恵をスターに仕立てようと企んだスタッフは、「禁じられた遊び」のB面「パパは恋人」をTBS系ドラマ「顔で笑って」の主題歌として使用した。百恵は、このドラマに出演した。又「パパは恋人」は、百恵と宇津井健のデュエット曲である。f:id:zunko2525409:20160806143810j:image1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで花開くこととなった。1974年「伊豆の踊り子」に出演し演技でも評価を得る。1974年10月からは、TBSのテレビドラマ赤いシリーズに出演。1975年には、「百恵ライブ−百恵ちゃん祭りより」が開催され1975年4月26日には、映画「潮騒」に出演し、三浦友和と共演した。f:id:zunko2525409:20160806144043j:imageこの映画の主題歌には、山口のアルバム曲「少年の海」が使用されている。1975年12月21日にリリースされた「白い約束/山鳩」山口百恵のシングルとしては、初めて三木たかしが起用された。「山鳩」は、山口と三浦友和の3作目の共演となった東宝映画「絶唱」の主題歌。1976年3月21日にリリースされた「愛に走って/赤い運命」「赤い運命」は本人出演のTBSドラマ「赤い運命」の主題歌。1976年11月21日にリリースされた。「赤い衝撃」TBSドラマ「赤い衝撃」の主題歌。1977年12月21日にリリースされた。「赤い絆(レッド・センセーション)」「赤い絆(レッド・センセーション)」は、山口百恵が主演したTBS系ドラマ「赤い絆」の主題歌。1978年に「百恵ちゃん祭り, 78」を開催。1978年11月21日にリリースされた。「いい日旅立ち」当時山口は、阿木耀子・宇崎竜童のコンビによる楽曲が多かった中で、本作は、谷村新司を楽曲製作者に迎えて作られた。「一惠」三浦友和との結婚式の当日の1980年11月19日にリリースされた。作詞にクレジットされている「横須賀恵」は、山口百恵本人の作詞時に使用していたペンネーム。作曲は、1978年の「いい日旅立ち」以来2年ぶりに当時アリスとして活動中だった谷村新司が担当。

この様にテレビドラマやイメージチェンジでスターになったのだ。しかし百恵のイメチェンは、プロダクションやレコード会社によって作られたものであり百恵自身の力ではない。世間やその当時の時代の空気などが百恵に合っていただけの話で百恵が凄い訳では無い。とにかく変化することにこだわっていた時代百恵は、それに応えるかのように変化していった。しかしその変化の仕方は不自然であった。地味でさえない少女が時代やプロダクションによって垢抜けてきたのはなんか嫌らしい感じがする。私が淳子ファンだから?百恵が嫌いだから?多少それは有るが…それとはまた違う不自然さを感じる。例えば、百恵は、変わったが淳子は変われなかったという世間の認識や百恵は凄いが淳子は凄くない。と言った世間の不自然な認識もある。それが可笑しくってならない。

 

例えば、16才の淳子さん

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17才の淳子さん

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18才の淳子さん

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19才の淳子さん

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20才の淳子さん

こうして見ると分かると思いますが、 16才の桜田淳子さんと20才の桜田淳子さんは違います。表情もキリッとしてきて凛々しくなりました。でも、私が言いたいのは、そういう事では無く淳子さんは、少女らしさを忘れずにかわいくステキな女性に成長していきました。簡単に言うと嫌味が無く自然と年を重ねている。それに淳子さんは、百恵の様にB面の曲も披露する事は有りませんでした。コレが吉と出たのか凶と出たのかは分かりませんが、淳子さんは、A面のシングル曲しか披露していません。ズバッとした判断力と勝負強さを感じます。又百恵と同じく女優としても活躍し才能を発揮しました。淳子さんも自身のアルバム曲で作詞されています。淳子さんは、本名の桜田淳子名義です。百恵は、格好をつけてペンネームで作詞してましたね。f:id:zunko2525409:20160806151312j:image「恋のふくらみ」「グッバイ・ハッピーデイズ」「show Me 〜心の扉を開けて〜」のこの3作品は、桜田淳子さん作詞です。皆さん是非これらの曲を聴いてみてください。f:id:zunko2525409:20160806151206j:imageしかし…不思議ですね…すべてにおいて桜田淳子さんの方がいいと思うけど…なかなか良さをわかって貰えないのは何でかな?ルックス、曲の良さ明るく爽やかで笑顔がいい…こんなに素晴らしい人なのにもっと世の中の人に淳子の良さをわかって欲しい。

 

 

さがし さがし 求めて

♪〜あなたひとりにかけた恋愛の言葉を信じたの さがしさがし求めてひとり ひとりさまよえば行けど切ない♪f:id:zunko2525409:20160805003940j:image作詞永田貴子 作曲彩木雅夫

長崎は今日も雨だった」1969年(昭和44年)2月1日に発売された内山田洋とクール・ファイブのメジャーデビュー曲にして、最大のヒット曲。グループ脱退後、ソロ活動中の前川清の代表曲でもある。この曲のヒットで第11回日本レコード大賞・新人賞を受賞。第2回日本有線大賞・新人賞を受賞。第20回紅白歌合戦に初出場を果たした。

ユーミン作詞の曲を集めてみた‼️

f:id:zunko2525409:20160801214339j:imageアグネス・チャン「白い靴下は似合わない」1975年8月25日にリリースされた。作詞・作曲荒井由美

f:id:zunko2525409:20160801215030j:image五十嵐夕紀「6年たったら」1977年4月20日にリリースされた。作詞松任谷由実 作曲筒美京平

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 須藤薫「やさしい都会」

作詞荒井由美

作曲筒美京平

中村泰士さんを紹介します。桜田淳子さんの歌を多数作曲した作曲家です。

f:id:zunko2525409:20160730232521j:image中村泰士 奈良県奈良市出身。大阪府立和泉高等学校に通っていたが、奈良県立高田高等学校に転校し、中退。在学中より、「内田裕也とロックブラザーズ」のボーカルをつとめていた。1957年、美川鯛ニとして東芝より歌手デビュー。1968年、佐川満男の「今は幸せかい」で作曲家に転身。1972年、ちあきなおみ「喝采」で第14回日本レコード大賞、1982年細川たかし北酒場」で第25回日本レコード大賞と、日本レコード大賞をニ度受賞するなど、ヒットメーカーとして知られている。中村泰士さんは、桜田淳子さんの曲を多数作曲されています。「天使も夢みる」「足長おじさん」「虹のほほえみ」「よせがき」「乙女の祈り」「天使の冒険」「鳩のいる広場」「人形の部屋」「16歳の夏」「わたしの青い鳥」他多数を中村泰士さんが手がけています。

f:id:zunko2525409:20160731155255j:image⬅︎中村先生と桜田淳子さんによるデュエット。

 

 桜田淳子さんの他にも、ヒデとロザンナ「愛は傷つきやすく」五木ひろし「めぐり…逢い」本郷直樹「燃える恋人」小林旭「泣いた数だけ倖せに」いしだあゆみ「喧嘩のあとでくちづけを」「砂漠のような東京で」「渚にて梓みちよ「小心者」ザ・ピーナッツ「サンフランシスコの女」「大阪の女」などを作曲されています。

 中村先生には、長生きして貰いたいですね。桜田淳子さんの関係者であり、淳子さんに携わってきた人物ですから、言ってみれば数少ない桜田淳子さんをよく知るお方でもあります。阿久悠先生は、2007年にお亡くなりになりましたし…サンミュージックの相澤会長は2013年にお亡くなりになられましたし…とにかく中村先生には、本当に長生きして貰いたいですね。f:id:zunko2525409:20160731160730j:image

 

本アカでも、 中村泰士さんを紹介した記事を投稿しましたが、今回は、裏アカとして中村先生を紹介したいと思います。桜田淳子さんの曲を沢山手がけた方ですし、淳子さん情報が入っているので此方のアカウントでも紹介した次第です。

クレージー・キャッツ「ウンジャラゲ」で登場するあの女性歌手の名前

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クレージー・キャッツの意味不明ソング「ウンジャラゲ」には、当時人気のあった女性歌手が登場している。

f:id:zunko2525409:20160730201431j:imageウンジャラゲ」の歌詞に「あけみちゃんはウンジャラゲ」と描かれている。三沢あけみさんの事だと思われる。

f:id:zunko2525409:20160730201729j:image「みどりちゃんはハンジャラゲ」これは、鼻山みどりさんの事だと思われる。

f:id:zunko2525409:20160730201843j:image「はるみちゃんはスイスイスイ」と描かれている。これは、都はるみさんの事だと思われる。

f:id:zunko2525409:20160730201943j:image「さゆりちゃんはモリモリ」これは、当時人気のあった女優吉永小百合さんの事を指している。

 他にも、「じゅんこちゃんはキンキラキン」これは、黛・ジュンの事だと思われる。彼女の本名は、渡辺順子である。多分そこから来ていると考えられる。

「みえちゃんはギンギラギンのギンギラギンのギンギラギンのギン」これは、中尾ミエの事を指している。

しかし当時人気だった女性歌手をひとつの曲の中で歌詞として描かれているとはおもしろいですし、画期的ですよね。